病弱書店

少し体が弱いです。本を紹介するブログです

小さいおうち 大きいおうち

 旅をしてきました。

T-WAY航空でインチョンまで4,500円。

6月にセールで取ったのです。

 

ソウル一泊

↓(高速鉄道KTX

釜山一泊

↓(フェリー)

下関 下関や門司港、小倉を観光して福岡へ。

 

ソウルや釜山ももちろん楽しかったのですが、

かなり印象に残ったのが門司の港。

 

石炭などの輸出港として、 大陸への外国航路の

玄関口として 往時大変栄えた門司には、

今も海運会社や鉄道会社の 古い建物が残っています。

 

建物好きな私は、ぷらぷらと散策しながら

街を見て歩きました。

 

一番気になったのが街の高台にある元料亭三宜楼。

 

http://www.mojiko.info/3kanko/sankiro/

https://www.japanheritage-kannmon.jp/bunkazai/index.cfm?id=9

 

今は三宜楼茶寮春帆楼と名前を変えてふぐ料理のお店に

なっていますが、 見学だけすることもできます。

https://www.shunpanro.com/location/sankirou/introduction.html

木造三階建てで、現存する九州最大級の建屋だそうです。

昭和6年4月5日付の門司新報に三宜楼披露宴の記事があり、

高い建物のなかった昔のこと、門司港を臨む眺望は、

どんなにか美しかったことでしょう。

美しいのは眺望だけではありません。

大広間には能も演じられたという大舞台があり、

寺院などの格式高い建物によく見られる格天井も見事です。

 

創業者三宅アサは、明治末期の京都の生まれで、

商才を発揮し三宜楼は栄華を極めました。

 

展示されている写真には、数多くの芸者が並び、

名刺入れには出光興産創業者出光佐三の名もありました。

 

さて、この建物はもう少しで取り壊される予定だったそうです。

昭和初期は栄華を極めた高級料亭も、時代を経る毎に

衰退し、 昭和30年頃廃業。

 

その後は三宅アサさんのご家族が住みながら、

間貸しをしていた時期も。

 

見学した時、まだ改装されていない部屋を隙間から

見せていただきました。

少し茶色くなった時刻表が貼られた部屋は、

確かに誰か 学生さんでも住んでいたような感じです。

 

ガイドをしてくれた方が「別の部屋の改装前には、西城秀樹

ポスターが 貼られていましたよ」とおっしゃっていました。

 

それからずっと時間が経って、間貸しもしなくなって、

広い建物の中でアサさんのお孫さんが一人で暮らしていたそうです。

1階の数間だけを使ってひっそりと。

 

ガイドさんがこんなことも言っていました。

「前をいつも通ってたんですけど、料亭だったなんて

全然知らなくて、 なんかな?って思ってたんですよ」。

 

どこか廃墟のようにさえなっていたのかもしれません。

 

お孫さんが亡くなって、ご遺族は建物を維持できないため

相続を放棄。

そこから建物の未来は解体に向かっていました。

 

でも、街の人たちが立ち上がります。

「三宜楼を保存する会」を立ち上げ、 寄付金2,000万円近くを集めたそうです。

もちろん修繕にはそれだけでは足りません。

北九州市が協力し、2億円の改修費をかけて一般公開にこぎつけ、

私も一昨日この建物を見ることができました。

 

栄華と衰退、間貸しやお孫さんがひとり暮らしていた時間。

解体されそうになったり、やっぱり守られたり。

そのすべてをこの建物は記憶しているのだと感じました。

建物は「記憶」を内包して、

一つの物語のようだと思いました。  

 

 

 

小さいおうち (文春文庫)

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